コラム

キャプテンシー

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管理人


先日、友人に片岡選手の引退試合のチケットを取って頂き娘と一緒に甲子園球場へ行って参りました。久しぶりの甲子園球場では球場の広さと観客の多さに圧倒されました。周囲を見渡すと沢山のファンが“縦じま”のユニホームを着ていましたが、“背番号8”を身に付けていたのは私と私の後ろに座っていた男性の2人だけでした。なんともいえない寂しさと勝負の厳しさを実感しました。毎年、年間十数回は甲子園球場に足を運ぶ私ですが、今年はある出来事があり甲子園球場に足を運ぶのはおろか、テレビでの観戦さえしませんでした。そんなある日、スポーツ新聞で中日との最終戦にて片岡選手の引退セレモニーがある事を知り、学校のソフトボールクラブでキャプテンをしている娘にどうしても片岡選手の最後の勇姿を見せたくなり、早朝に友人にメールを打ち、チケットを依頼しました。私は阪神タイガースが初めて優勝した昭和37年寅年に西宮市で生まれ、子供の頃から少年野球では背番号22番を身にまとい東京に4年間在住していた時は、神宮球場、横浜スタジアム、後楽園球場に毎試合のように足を運んでいました。また、阪神タイガースの3度目の優勝を見届けた翌年の春に結婚しました。当然結婚生活も阪神タイガースが中心でした。しかし、最初の十数年間は、私にとってのプロ野球は阪神タイガースの低迷と共に毎年ゴールデンウィークまでで終わりを告げ秋は、ローカルテレビで阪神タイガースの消化試合をBGM代わりに、家内と食事をするという日々でした。当時は、このチームは私が死ぬまで恐らく優勝はしないだろうとさえ思っていました。そんな時、突然、日本ハムファイターズから、片岡選手がFAで移籍してくるという話が持ち上がりました。当時の球団関係者の話では「片岡選手には試合での活躍も当然期待していますが、試合以外でも選手を引っ張って行ってくれる事を望んでいる」とのことでした私はその言葉を聞いて、阪神タイガースを救ってくれるのはこの男しかいない、と直感しました。同時期に、テレビで片岡選手に何度も何度も土下座しているファンの姿を見ました。私も、心の中で彼と一緒に「阪神タイガースを助けて下さい」と何度も何度もお願いしたのを覚えています。引退セレモニーで片岡選手は「5年間大して活躍が出来なかったけど・・・・」と言っていましたが、試合に出場する機会が少なくなっても腐らずに練習を続け、若い選手のお手本となってチームを引っ張ってくれ、その結果、彼の在籍中に2度もリーグ優勝を成し遂げました。敵味方関係なく多くの選手が泣いている姿を見ていると、彼こそ、真のキャプテンシーの持ち主だと思いました。“キャプテンとは試合で活躍する事が当然”と思っている人たちの目には、片岡選手の姿は、今どのように映っているのでしょうか?大きな声で「片岡ありがとう」と3回叫び、隣に座っている娘に目をやり、「来て良かったやろ」と声を掛け甲子園球場をあとにしました。ありがとう“キャプテン片岡篤史選手”“背番号8”


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